NSR整備記録

NSR250R MC21 SEのメンテナンス記録。

運転する人のマナーがひどいので一言いいたい

最近、車やバイク、自転車を運転する人のマナーがひどいと思うので一言いたい。

車両を運転する行為は個人の利便性のために多くの人へ危害をあたえる可能性がある行為です。

軽車両である自転車でもバイクでも車でも同じで、車両は殺傷能力を持っています。
人力で動作する自転車でさえ、チェーンとギアの間に指を突っ込めば切断も可能です。

時速数km/h程度でも赤ん坊を抱いたお母さんに衝突して、子供を頭から路面に転落させれば簡単に人の命を奪うことができます。

私たちは利便性と引き換えに、ルールを守り必要相応の配慮をすることで他人に危害を加えないことを前提に、免許を取って車両を運転したり、自転車に乗っています。


車両は凶器であると認識してほしい
前述したように車は便利ですが、凶器でもあります。
さまざまな安全対策はなされていますが、この事実は変わりません。
極端な言い方をすれば街中を包丁を持って走っているようなものです。

包丁を持って街中を歩くとしたら、あなたはむき出しの包丁をぶんぶんと振り回しながら歩くでしょうか?
常識のある方なら歩行者に不安を与えないように、包丁をケースに入れたり、危険が及ばないようにさらに専用のケースにいれたりバッグに入れるなど、見えないようにしたり工夫をするはずです。
なぜなら包丁には殺傷能力があり、その見た目も他人に不安を与えるからです。
そのうえで、自分も怪我をしないように配慮して包丁を運ぶという当たり前のことをするはずです。

車両も同じく殺傷能力のある道具です。
ただ目的が移動や運搬するためだったり、見た目が安全に配慮しているように見えたりするため、車にケースや保護カバーをつけて運行しなくても歩行者に不安感を与えることはありません。
実はここに落とし穴があります。車自体の見た目は包丁より安全に見えますが殺傷能力は包丁の数倍あるままで危険性はより大きいままです。

例えばあなたが運転する車のホイールに子供が運悪く転倒して頭から突っ込んだとします。時速10km程度だったとしても、その子は助からないでしょう。
ボディーにあたったのなら速度さえ低ければ怪我だけで済んだかもしれません。でも駆動部品に人間が巻き込まれたらひとたまりも無い道具なのです。
それほどまでに機械とは強力で人体は脆いというのが事実です。

またボディに当たることが安全かのように書きましたが、これはあくまで駆動部に当たるよりは安全というだけで、時速5km/h以下でも人を殺すことは可能です。


運転する自由と責任
車やバイクを運転するために、私たちは免許を取ります。
免許とは公道上で凶器を運行することを公的に許可される権利です。

凶器を運行することは許可されていますが、他人に過度の不安を与えたり、殺傷することは許されません。
つまり、免許とはルールを守り、他人に過度の不安を与えたり、殺傷することなく運行する義務を伴います。

一般に強者は弱者を保護する、または、危害を加えないというのが大前提です。
歩行者優先というのは、この基本原則に則ります。
つまり凶器を持っていない人を凶器を持った人が襲ってはいけない。または凶器の所持をしてもいいが、凶器で他人を過度に不安にさせたり、傷つけてはいけないということです。

例えば、車に乗っていて、人が歩いてるのを邪魔だと感じクラクションを鳴らす。
このような行為は強大な力を持った人間が、無防備な人間に対して威嚇する行為です。
包丁に置き換えれば、包丁を振りかざし、「殺すぞこら!」と、叫び散らすのと同じです。(極端に書きましたが警笛は音しかせず、感情までは伝わりません。逆説的に言えば人によっては、相応の恐怖を感じます)

警笛は危険回避のためにやむをえない場合に限り、危険回避を促すために着いている非常用の道具です。
本来警笛は鳴らしてはいけない道具で、危機回避を運転者が行えない可能性がある状態に陥った場合に、やむおえず他者に対して回避行動をお願いするために使うために設置されているものです。
気に入らないことがあった時にパッパカ鳴らす人は、あなたが与えられた権利を逸脱している行為をしていることを認識し、免許を返納するか、もう一度勉強しなおしてください。

警笛はほんの一例ですが、車の性質と免許の意義を考えれば、歩行者を保護する(危害や過度な不安を与えない)という意義が理解できるはずです。運転免許を取るためにはこれ以外も様々なルールがあります。認識が違ったなと思ったら良い機会ですので、もう一度交通ルールを確認してください。

あなたは運転者であるとともに時には歩行者です。
あなたは歩行者の気持ちもわかるはずです。自分や自分の愛する人たちが同じ行為をされた時に不安や怒りを感じる運転をしていないか、もう一度考えてみてほしいのです。
原点に立ち返れば、歩行者が邪魔という発想にはならないはずです。

車を運転する権利は確かに免許があればあります。
ですがそれは、大前提あなたの運転する利便性と引き換えに誰かの生活を脅かさない義務の上に成り立ちます。運転者の都合はどこまでいっても無防備な歩行者の都合に勝ることは無いのです。道を歩く人がすべて健常者なわけでもありません。



運転するという行為の代償
車やバイク、自転車を運転するという行為は、高度に代償を伴う行為です。
車両は非常に便利な道具ですが、不条理なほどに運転者にその責任を転嫁します。
ある程度力を持った人は公道で車両の運転はしません。
これは、利便性に対するリスクが大きすぎることを理解しているからです。
以下のようなケースでも運転者は相応の責任を負う義務があります。

 ・狭い道路で歩行者が転倒し車道に出てきたときに接触した

 ・自動車専用道を痴呆老人が徘徊していたのをブラインドコーナーではねた

 ・子供が脇道から飛び出してきた

 ・老人が道路をよたよたと横断してきた

 ・人が道路で寝ていて気づかずにはねた

対人で事故を起こした場合、どんなに歩行者に過失がるように運転者が感じようが、悪いのは歩行者を保護するための予測ができなかった運転者です。

歩行者は基本交通ルールを守れないと考えるべきなのです。
歩行者は全員が健常者ではありません。
目の見えない人、耳の聞こえない人、足の不自由な人、判断能力の低い人、痴呆の人、知的障害の人、知識の無い子供、様々な人がいます。

そしてこれらの人には公道を歩く権利があり、あなたの車を運転する権利に勝る基本的行動の自由の権利があります。

運転者はこれらすべての人を保護(危害や過度な不安を与えない)する義務があります。
例えば、歩行者が道路を横断前に、こちらを見ていたので、ちゃんと認識していると思ってそのまま進行したら、その人は目が見えず、道路に出てきてしまって怪我をさせてしまった。まさか目が見えないとは思わなかった。こんな言い訳は通用しないのです。
運転者が事故を起こし、相手が健常者でなかったことを知るのは大抵事故の後です。

歩行者は誰でも交通ルールを守れるわけでは無い。
自分が選んだ運転するという自由を行使するならば、これらの人すべてに危害を加えないという、重い義務があることを認識してほしい。

対人に対してのみ書きましたが相手が車両でも同じことです。
これは非常にリスキーであることは言うまでもありません。


車間距離がおかしい
運転モラルで最たる問題がこれです。
日本人の車間距離の感覚は欧米に比べて非常に稚拙です。
簡単に言えば、車間距離を取らないリスクを全くと言っていいほど理解していない上に法的にも取り締まりが非常に甘い現実があります。
欧米の一部の国では車間距離の取り締まりはかなり厳しいです。これは他国と違い車間距離の重要性をしっかり認識しているためです。

交通事故の大半は車間距離が空いていないことが原因といっても過言ではないと個人的に思っています。
例えば高速道路で車間距離を全車両が適切にとるのであれば最高速度を2〜30%高く設定したところで事故は減少するでしょう。

車やバイクの制動力は車両によって大きく異なります。
仮に車が何台か連なって走っている場合先頭をスポーツ系車両が走っていて、フルブレーキをかけた場合、ほぼ確実に後続の車両は追突します。

これは、タイヤの性能、ブレーキの性能、車両重量に大きな差があるためです。
軽量で高性能タイヤを履き高性能なブレーキを搭載した車両は制動距離がとても短くなります。
対して安全装備で重量化したボディー、転がり抵抗を最低限にしたエコタイヤ、最低限の性能のブレーキの組み合わせのエコカーはブレーキを踏んでもなかなか止まれません。

車の性能だけでもこれだけの差があるのに、さらには運転者の技量にも、危険予測にも大きな差があります。

高速道路はもとより、一般公道で車間距離を開けないなど、自殺行為であり殺人未遂に他なりません。

車間距離を詰めて走る人たちが追突した経験がないのは、前の車両がフルブレーキする事態にめぐりあっていないだけにすぎません。
そんな人たちの前の車両の前に猫が飛び出したり、人が転倒した日には、即事故につながります。そして大半の事故はそうして起こります。
想定外の事態が起こらないのであればテールツーノーズでも問題無いでしょう。実際レースでは車間距離すら利用します。ですが公道は想定外のことしか起こらないと言ってもいいほど、様々な人が利用する場所です。

適切な車間距離を開けて走っている車両の前に割り込む行為は、割り込んだ後の車両に再度安全な車間距離を開けることを強要する行為です。
割り込んだ後、加速するから迷惑をかけないという人は、その割り込みの直後、動物が飛び出し急ブレーキを踏んで追突された場合なんと言うのでしょう。

車間距離を適切に開けていると割り込まれると思うから車間距離を開けない原因にもなるこのような行為こそ厳重に取り締まるべきことだと思うほどです。

きちんとした危険予測ができる人は車間距離を詰めたりしないのはリスクを相応に理解しているからです。特にバイクは制動距離が一般的に車より長くなります。
バンクしてればブレーキ性能は半分にも低下します。
さらにはバイクで追突すると、命の危険は車の数倍です。
くれぐれも車間距離を守ってください。


最後に
まだまだ言いたいことは山ほどありますが、運転するということは何を守るべきで、どんなリスクの中に自分がいるのか、一端でも理解が深まれば幸いです。
何より大切なのは人を思いやる優しさです。

少しでも疑問を感じた時は、今一度免許を取った時の喜びと、初めて公道を走った時の怖さを思い出してください。
そして、一年に一度でいいので、交通ルールを再確認してください。
そこには、意味不明なルールも記載されていますが、読み解けばあなたの意識を変えてあなた自身を守るヒントも多く記載されています。

道路交通法が改正されるのには意味があります。
確かに無意味だったり、外郭団体の利益を最優先したくだらないルールムたくさんあります。ですが、昨今強化されたルールは、モラルだけでは守れなくなったものを法整備したりと、昨今の交通事情を理解するためのヒントも多く含まれています。

高齢者の事故の多発など、過信、無知、危険予測不足による事故が多くなっています。
このままでは免許更新時に学科試験を実施する未来もそう遠くなく来るでしょう。(これに関しては個人的にやるべきだとは思いますが)
自動運転車も走るようになり、走る楽しさは、どんどんスポイルされていきます。
ルールはモラルで守られなくなると作られます。
車に速度自動制御装置がついたり、車間距離自動制御装置がついたり、わけのわからないルールがどんどん追加される前に、運転者は現状ルールとモラルで安全運転ができることを証明していかなくては、自分たちの首を絞めることになるでしょう。

楽しいバイクライフを守るためにも、自分自身を守るためにも、知識とモラルで若い子に胸を張れるドライバー、ライダーになってください。

道路交通法

 

道路交通法の改正のポイント - 一般財団法人 全日本交通安全協会



道路交通法改正Q&A―高齢運転者対策の推進、準中型自動車免許の新設等―

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16-2訂版 執務資料 道路交通法解説

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